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​徳富 太郎

ハイデルベルク大学 留学開始:学部2年生後期

約1年間のハイデルベルク留学。私にとって初めての海外長期滞在であり、当然のことながら苦労・新たな経験の連続。日々は目まぐるしく過ぎていった。最初は生活するのがやっと。スーパーで買い物をしたり、駅で切符を買ったりするにも相手が話していることがわからない。何度も聞き返すもやはり理解できず、相手の機嫌を損ねてしまう。生活するのがこんなに大変なのか、自分はいったい何ができるのか、などを痛感させられる日々。さらに現地で出会った大学生のレベルの高さや積極的な姿勢に圧倒され、自分は今まで何をしてきたのだろうと自問自答。追い打ちをかけるようにドイツから厳しい冬の寒さのプレゼント。日照時間の短さに比例するようにどんどん陰鬱な気持ちになり、帰国してしまおうかと考えたこともしばしば。

そんな私をドイツにつなぎとめてくれたもの、それは友人とビールだった。悩んでいる時間はもったいないと思わせてくれるほど愉快で研究熱心な友人。全てを忘れさせてくれ、毎晩心地よい眠りへと誘ってくれたビール。そしてこの両方の楽しみを一度に享受できる学生食堂。留学生活を楽しみ、自分の勉強に集中できるような余裕が少しずつ生まれた。それ以来、なぜこんな些細なことに、こんなにも長い期間頭を悩ませていたのかと思うくらい順調に事が運んだ。

滔々と流れていく充実した密度の濃い時間。授業中積極的に発言している自分。議論に参加している自分。辞書を使う回数が減っている自分。レジのスムーズな流れを阻害し、DBの社員を怒らせていたあの頃の自分はもういない。あと5ヶ月、あと4ヶ月帰国までのカウントダウンが始まった。もっと長くここにいたい、もっとここで勉強したい。いつしかそんなことばかり考えるようになり、カレンダーから目を逸らすようになっていった。

「きれいなドイツ語だ! gut gelernt!」

フランクフルト空港で出国検査の際に言われた言葉を今でも忘れることが出来ない。1年間の苦労がすべて報われたような気がした。今までの取り組みは間違ってなかった。もがき苦しんだこともあった。帰りたいと思ったこともあった。でも来てよかった。こんなことを考えながら最後の機内食を堪能した。いよいよ着陸、日本だ。

「すみません、すみません。」後ろから近づいてくる声。誰だろう、同じ便に乗っていた日本人か。そう思いながらスーツケースを止め、振り返った。

「日本に持ち込めるのはワイン3本まで。それを超える分は酒税払ってください。」

目の前に立っていたのは税関の職員だった。スーツケースの中身を確認するとそこにはワイン3本とビールが1本。超えていた。気づいていなかった。いつの間に。

どうやら1年で思った以上にビールの魅力に取りつかれ、ビールに飲まれていたようだ。200円を納め入国。

あれからもう4ヶ月。冷蔵庫をふと開けるとあの時のビールがふと目に入った。不思議だ。どうして今まで気づかなかったのだろう。お気に入りのグラスに注がれた姿は、あの頃見ていたものと同じだった。これだ。あの頃私の左手にいつもあった。

そして味は。うん、やはり、ほろ苦い。

ドイツ文学専修4年生

​ハイデルベルク大学 留学開始:学部2年生後期

 

​ある留学生の在籍報告の抜粋、または留学体験記

1月3日

アウクスブルクの新年はラジオから流れ出る美しく青きドナウの旋律によって告げられ、私は手に持ったシャンパングラスで数時間前に出会ったばかりの人々と―言い換えれば2019年に知り合った人間の長いリストの最後を飾る人々と―曲の合間に甲高い音を響かせた。次いでパーティーの参加者は続々と階段を上り前庭に出始めた。すると間もなく、遠くの教会の鐘が時の流れに無頓着な草木までを叩き起こすかのようにけたたましく鳴り始め、空一面に打ちあがる花火はその轟音に応酬するかのようだった。騒がしい新年の幕開けは、しかし、静かに過ぎた一年を振り返る時間を与えてくれた。

私は昨年の中ごろにハイデルベルクへ引っ越して、20年ほど過ごした小さな島国を去ることで、かなり開放的な気分を得ることができていた。去年においてきた数々の文学部の単位のことなんかは頭の片隅にも無く、ドイツでのくつろいだ日々ばかりが頭の中にあった。たしかに、ドイツ語の勉強などで多忙には違いなかったのだが、冬が深まるにつれて日照時間が減少し、朝目覚めてカーテンを開けるとその寒さゆえに霧が立ち込めている、といった様子の街を見ると、家や図書館で単語をこつこつと覚えることこそが、冬のハイデルベルクに合わせて呼吸することに思えた。私は、天候に恵まれているとは言えないこの街の時間に溶けていった。

一方で、日本に帰ってしまったらもう卒業までわずかな時間しか残されていないという事実はキャリアについて考えることからは逃れられないことを意味していた。高校生の頃のように将来は詩人か革命家になります、といってふざけていてよい時期はとうに過ぎていたのだということを、ここ最近身にしみて感じている。文学を学んでいると言った時の人々の返答 “Aber warum?” は、回答をいつも用意してはいるものの、そう問うてくる人々を納得させられるものではないと分かってもいるので、冷たい手となって私の心臓を撫でるようだった。ところが、やはりそんな苦悩ほどハイデルベルクに似つかわしくないものはなかった!美しい街を歩き、ドイツ語を勉強すると、そんなことはすっかり忘れてしまっていた。まさに霧に包まれたこの街の魔術が私の総てをからめとり、運び去っていた…

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